台湾旅行・結構文章が長くなった・・・

個展や撮影などが終わった頃、

以前からとれこに行きたいといわれていた台湾へ。

欧州の方はよく行くが身近なアジアの都市は行ったことは殆どない。

舶来品に憧れていた古い人間だからだろうか。

唯一タイへメコン大ナマズを釣りに行ったくらいだ。

今回も日月潭という湖で釣りを目論んでいた。

朝が苦手なので関空を夕方旅立った。

飛行機から見る「夜と昼の狭間」

かなりの高度のはずだが、海には漁り火が見える。

 

台北で二泊三日。日月潭近くの街で二泊。

台北では観光地へは行くことなく、街歩きを楽しんだ。

 

 

夜市で旨いものをと思っていたが、

時々臭う謎の腐臭に我慢ならず昼間見ていた小籠包の店へ、

逃げるようにタクシーで行く。

台北の物価は結構高く台北駅で食べたラーメンの価格は二人分で約1700円。

こちらでは日本のチェーン店が多く、それらは結構高い。

しかし、屋台のものはとても安い。

これらの夜店のお祭り状態は毎日で、台北では食事は屋台で済ますと聞く。

 

翌日、臭豆腐と書かれた屋台で、同様の匂いが・・・

正体は「これか?」と思うものの確信はない。

確か台湾からの旅行者が日本の電車の中で食べようとして、

余りの異臭に緊急停車したというニュースを憶えている。

タクシーは他の物価に比べて安い。

車種はトヨタのウイッシュが多いように思う。

台湾では結構日本の高級車が走っているけれど、

服装に関しては一様に無関心でダラダラで小汚い。

 

この時期気温は20度前後だが、

どのタクシーに乗ってもクーラーがガンガン効いて冷える。

運転手は何故かダウンやセーターを着ているが、クーラーは切らないみたいだ。


 

 

今回はお茶の旅ということで茶芸館をいくつか訪れた。

そこで「いいな」と思う急須を見つける。

商品としても売っていたので値段を見ると予想を遥かに越える約14000円。

普段使う急須に「この値段はない」と思うのだが、時として旅は感覚を可笑しくさせる。

 

いつも自分への土産はその土地の石を拾って持ち帰るのみ。

エジプトやらモナコやらトロイやら色んな土地の石をシャーレに入れている。

初めて土産にお金を遣った気がする。

左奥がその件の急須だ。

 

二階が喫茶で一回が茶器などを扱っている。

ここの老婦人は日本語が上手くて、結構色々と話し込んだ。

 

そしてホテル近くの乾物問屋の街を歩く。

ここでは干しエビを買った。

 

その後は台湾の新幹線で台中へ。

そこからまたバスで標高500メートルの街へ行く。

 

台中の新幹線の駅、ロイヤルホストは日式の弁当屋。

 

バスに乗り込み到着は夜、そのまま鍋を食べに行く。

台北と違い食事代がかなり安い。

台北だと日本とそんなに変わらないが、

地方都市だと半分くらいに感じる。

 

この辺りは珍しいキノコも採れるそうで、

キノコと豚肉のトマト鍋を食べた。

地方都市は日本語は勿論、英語もほとんど通じない。

日本人とも出会えなかった。

台北では日本語も結構通じて不便はなかったので、この差に戸惑った。

写真入のメニューもなく、食事を頼む時は困ることが多い。

 

翌日、レンタカーを借りて茶農園へ行く予定が、

街のレンタカー屋は数年前に潰れて今はバイク屋しかないと言う。

バイクで二人乗りで行くしか方法はないらしい。

 

バイクに乗るのは、おそらく25歳でバイクを止めてから約35年ぶり。

バイクと言っても125ccのスクーターのみ。

スクーターはタンクを脚で挟めないので恐いのである。

おまけに「右側通行」という壁・・・・

まあ、この旅でこれが一番の体験だった。

行きは2車線の細い山道を標高700メートルまで約30キロ。

とれこはギャーギャーと五月蝿い。

おまけに曲がりたい方向へ体を倒してくれないので、

上手くカーブが曲がり切れない。

段々と腰が痛くなってくる。

風景は流石に熱帯、亜熱帯と言った感じだ。

茶農園では余り儲からずに、最近は珈琲豆も作っているとか。

 

茶農家ではお婆さんが茶葉からゴミを取り除いていた。

 

農園でお茶を頂き話を聞く。

左端が茶園まで案内してくれたゲストハウスのオーナー。

彼が居なければ、ここまで辿り着けなかっただろう。

 

その後オーナーと別れて、茶芸館を二箇所ほど訪れて、日月潭へ。

茶芸館はどこも洒落た建物だった。

古い建物を本当に綺麗にリノベしている。

一周30キロのカーブだらけの湖水道路を走る。

もう釣りをする気力もないが、ちょいと竿を振ってみる。

帰り道は4車線の国道。

ほとんど高速道路状態。

70キロで走っていても追い越されていく。

下り坂で馬力のあるスクーター、余裕で百は出そうだが、

35年ぶりでオマケにスクーターというのはちょいと恐怖だ。

 

湖畔で食べた三菜一汁というもの。

キノコのスープが絶品で、右の野菜炒めがコリコリと歯ごたえがあり旨かった。

キノコスープも絶品。

日月潭の美しい景色は撮っていないが、旨いものだけ撮っていた。

日月潭>>>http://www.taipeinavi.com/miru/40/

そして街へ着いた頃には首や肩が痛くなっていた。

この旅で二度目のマッサージへ。

旅行でマッサージへ行くことは初めてで、二度も行くとは思わなかった。

 

夜にバイクがあるので台湾全土で有名なチョコレート屋へ。

18度Cと言う名の店は土日は2時間待ちの行列ができるとか。

 

アイスクリームもあり買おうとしていたら、レジのところに偶然オーナーが居て話しかけられた。

日本が好きで大阪にも行ったことがあるという。

日本でもチョコ修行をしていたそうだが、日本語は片言で殆ど英語だ。

彼のお喋りが熱心に続き、レジの後ろに行列が溜まっていくのが気が気でなかった。

18度C>>>http://www.taipeinavi.com/shop/314/

 

最終日は朝飯に入ったカフェで初老夫婦のもてなしにうれしくなる。

飲み物とソーセージ・パンを頼んだが、飲み物とソーセージしか出てこない。

パンを所望するが、「bread 」と書いてもこれがどうしても通じない。

どうやらパンで通じたみたいだ。

植民地時代に日本語のパンをそのまま使ったそうだ。

それからコミュニケーションが好きな主人が色々と話しかけてきてくれて、

英語と漢字を使って1時間くらい話していた。

種無しのオレンジをサービスで頂く。

種無しを主人は説明したくて漢字で説明してくれる。

分かったので日本語で「種無」と書くが通じない。

どうやら「種」は「子」と書くらしい。

「no seed」と書いたら理解してくれた。

「seedless」では通じない。

カフェの隣に駐車場があり、とても大きなマンゴーの樹がある。

「これはマンゴーの樹だ」と聞いた時は驚いた。

マンゴーがこんな大きな木になるとは思いもしないし、

見た事もない大きなマンゴーが落ちていた。

マンゴーには色々な種類があるそうだ。

 

その後バイクを返してバスの停留所へ。

午後1時のバスに乗る。

そして新幹線、飛行機と乗り継いで夜中の12時半ごろ家に辿り着いた。

 

 

村田 兼一 | 旅行・行楽 | 00:59 | - | - | - | - |

「魔女の系譜、校了」、そして軽井沢へ。

9月6日

ゲラ刷りで大体、本の全容が見えて来る。

表紙はグレーではなくブラウンとなる。

 

文章1ページに対して写真は3ページでの構成。

全約120ページ。

写真の色校正は手こずらなかったが、

文章は土壇場まで直しまくっていた。

校了。

そして10月5日発売です。

「魔女の系譜」村田兼一著 玄光社刊行。

 

九月某日

軽井沢へ、甥の結婚式へ向かう。

7時半と言う今年一番の早起き。

途中の諏訪湖。

 

夜は長野の鹿教湯温泉。

一人占めの露天風呂、我が美脚、温まる。

 

長野は色々な名山があり、いちいちグーグルマップで調べてみる。

 

小諸に立ち寄り、小諸蕎麦を頂く。

蕎麦好きにとっては何よりの至福。

 

土産物屋で美味しい蕎麦屋を聞き込む。ここの蕎麦屋を勧められる。

創業200年だとか、昔ながらの蕎麦だった。

 

午後から甥の挙式に出席。

式前に一枚。

乾杯の挨拶で式が始まる。これを任せられて、あがってしまう・・・。

 

夜は巨大アウトレットの前にある巨大プリンスホテル。

部屋が一番端の方なので曇って良く見えない。

 

翌朝は霧だった、ホテルの窓より。

とれこは早朝より急死した叔母の葬儀の為に高知へ。

まさに冠婚葬祭だ。

私はゆっくりホテルバイキングへ。

 

帰る前に軽井沢銀座や諏訪神社などを訪れる。

 

牛と一枚。姪に撮ってもらう。

 

アウトレットで水炊き用の小鉢を買う。

双子の妹と姪と蕎麦を食べる。妹も来年は私と同じ60歳となる。

そしてまた7時間かけて帰阪。

 

長野の山並みに夕陽が落ちて行く。

村田 兼一 | 旅行・行楽 | 00:02 | - | - | - | - |

小旅行記。

八月某日

サロメちゃん、遅い夏休みでウチヘ遊びに来る。

これは2ヶ月以上前に決まっていたが、

何故か知らぬ間にタマととれとサロメちゃんとで旅行に行くことにも話は進んでいた。

行くならば、朽木へ釣りへ行きたいと希望したが、台風が心配だった。

 

八月某日

台風の影響で大雨が降る。

撮影はしないと決めていたので、近所の商業施設でポケモンをする。

夜にタマも明日の旅行の為に泊まりに来る。

 

八月某日

台風一過、しかし日本海側で突然に雨が降ったりもした。

第二京阪から名神、湖西線、鯖街道と進んで福井県の瓜破の滝へ。

ナビの予定よりも1時間早く到着できる。

しかし同乗者からは運転が荒っぽいと不評だった。以後、気をつけます。

久しぶりの瓜破の滝、大雨のせいか涼しいせいか、あまり水が冷たく感じなかった。

 

夏に訪れる瓜破の滝は、手が千切れそうなほどに冷たいのだが・・・

そして何より悔しいのは、参道前の茶屋の「水饅頭」が売り切れていたこと!!

 

これが参道(産道)への入り口辺り。

 

とれこが偶然見つけた熊川宿の再現された街並み。

ここが鯖街道の起点らしい。

熊川宿はゆっくりともう一度訪れなくては。

下の画像は道の駅。このひとつ奥に宿場がある。

 

琵琶湖近くの川で毛バリでハスを釣る。

 

琵琶湖でも一応、投げてみる。

 

夜ご飯は安曇川の鰻を頂く。

川ウナギなので臭みがなくてとても旨い。

以前、親父の友人のT先生から年に一度は、ここのウナギを頂いていた。

もうどちらも鬼籍に入り、もはや自力で食べに来るしかない。

 

お腹が満ちて、山奥のコテージへ。

昨夜まで熱帯夜だったのが寒いくらいで驚いた。

 

コテージのオーナーはジブリのアニメに出てきそうな、絵になるお婆さんで、

朝も大きなバスケットにパンと果物を入れて持って来てくれる。

 

そしてお昼は朽木へ。

朽木と言えば岩魚定食。私はお刺身を頂く。

お供には、口の中に山椒で詰まった山女も。

 

トイレから戻ると何故かビールが・・・

 

2時間半だけお目当てのマス釣りをするが、全く釣れない。

水がかなり濁っている。

台風の影響か、かなりのショートバイト。

 

タマは一人粘りにねばって、終了間際に小さいのを一匹。

えらいねぇ〜

帰り道は高速に乗り損ねて地道で。

みなさんもポケモンに興じて、車での退屈も無く楽しく帰宅。

 

九月某日

この色校とゲラが届いて、サロメちゃんの夏休みも終わり。

その場から私も校正作業へ。

 

私はまた5日後に数日軽井沢へ、甥の結婚式へ行く。

そのころには「魔女の系譜」は輪転機にかけられている。

詳細はまた後ほどに。

 

九月某日

七菜乃展「私の女神たち」終了。

今回プリントミスなどで、ご迷惑をかけました。

どうやらプリンターの修理後の調整が拙かったようです。

無事展示は終了。

皆さま、ご苦労様です。

 

村田 兼一 | 旅行・行楽 | 00:50 | - | - | - | - |

近江八幡、奈良と行楽「食と酒」


乙画廊の「髑髏展」は無事終了、有り難うございました。

髑髏展も会期も終わる頃、東京は神保町画廊のオーナー佐伯さんが、
我が家へ遊びに来る。
佐伯さんとは出かけている時以外は、始終台所で料理を作りながら日本酒を呑んでいた。

「鮒鮨が食べたい」という希望の来阪、翌日は久しぶりに行楽を楽しむ。
何せこのひと月くらいは鬱々と閉じ篭っていたので、
気分を変えてパーッと高速を走らせることにした。
場所は近江八幡で見付けた、色々な発酵寿司や押し寿司を扱う店。
80キロほど東北へ車で走る。


私は酸っぱい鮒鮨は一切れ食べ、後はもろこを焼き、鱧寿司や鯖寿司、ブリとろ等を頂く。
その後雨が降り出し観光は諦め、お茶の為に「たねや」目指す。
しかしそこが偶然、行きたかった「日牟禮八幡宮」の前だった。


帰宅後、夜はやはり台所で日本酒呑みながら食事。
翌日は3時から奈良は白毫寺へ。


ここは数年前、初詣に来て以来何度か訪れている。
有名なのは閻魔大王なのだが、私は薄暗い本堂に腰を浮かせて、
窮状があればいつでも駆けつける準備をしている勢至菩薩が愛らしくて好きだ。
左手で合掌している高さ40センチの小さな仏像だ。


夕方はなら町で奈良の地酒のみの販売と試飲が出来る店へ。
三杯呑んだ佐伯さんは白にごりのお酒を買う。
その後、路地裏のお好み焼き屋へ。
「これにてドロン」と言う訳で東京へ帰られた。




 
村田 兼一 | 旅行・行楽 | 22:07 | - | - | - | - |

慰安旅行と個展無事終了。プリント合宿前半編。


個展中だった。
12月2日、駅で七菜乃さんを拾いそのまま高速を飛ばして和歌山県は淡島神社へ。
私はここへ初めて訪れたのはブログを辿ると2007年だった。
それ以来何度かこの雑賀岬には足を運んでいる。

途中、サービスエリアで翌日3日誕生日であるとれこの祝いを
菜乃さんが買って来てくれたケーキでする。

4時前に神社に到着。
色々な人形が神社のあちこちにエリア分けされて置いてある。




過去に訪れた時のブログ。
2007年3月にポチと訪れた時は社殿に山と積まれた雛人形に驚いた。
http://blog.ken-murata.com/?eid=644497

こちらは2008年同じ3月だが、流し雛の行事の後だったのか、
大量の雛人形はなかった。
http://blog.ken-murata.com/?eid=780044




夕暮れ、海の向こうには友が島が見える。




雑賀岬の途中にある旅館に宿泊。
料理と温泉を堪能する。
ポルチーニ茸やフォアグラ、トリュフなどと和食を組み合わせた料理が旨かった。
翌日の朝食もまた豪華だった。

どちらも食べ切れないと思ったが、旨いとなんとか入るものだ。
いじましく写メを撮ってはインスタグラムに上げていた。


今回、七菜乃さんの目的は旅行ではなくて彼女の12/18から始まる展示のプリントの為だ。
セルフの写真集を日本カメラから出されているが、今回の展示はほぼ撮りおろし。
私はプリンターとして参加。
これらの後半編は次回に。

そして、今日個展が無事終了いたしまして、皆さま有り難うございます。
ツイート、リツイート、シェアやファボなど、色々と応援を頂き感謝です。
来年も機会があればよろしくお願いいたします。
村田 兼一 | 旅行・行楽 | 22:48 | - | - | - | - |

高野山、龍神村へ慰安旅行兼原稿合宿。プラス「さかしまのリリス」発送状況



今回は色々な撮影や雑事の合間を縫ってとれこ、谷崎と慰安旅行へ出かけた。
とは言っても、そこは抜かりなく旅館では「魔女の系譜」の原稿を谷崎にネタ出ししてもらう缶詰旅行でもある。

1時ごろ出発して先ずは高野山奥の院を目指す。
4時過ぎ到着したが外国の観光客でにぎわっていた。


鳥居の低さが面白い。


この川に立つ木片は何だろうと撮ってみる。
面白い企業の墓などは前回に撮っているので、そちらを。
http://blog.ken-murata.com/?eid=980682


高野山の奥の院は好きで何度か訪れているが、空海が住んでいるという部屋を御簾越しに初めて見ることが出来た。
いつものように地上の社を拝んだ後に、「地下へいく階段」を谷崎が発見。
導かれるように行く。
普通に参拝は可能なのだが、いつも見落としていた。
魔女の鼻のよさに感謝。


薄暗がりに桜が幽玄だ。


建物の上に建つ弥勒様の場所から下を撮っていたら、それを谷崎に撮影されていた。
私が弥勒様を懸命に撮影しているみたいだ。


5時半に高野山を出て、龍神村に向かう。
龍神ハイウェイを飛ばして1時間くらい。
途中、夕焼けがヨード卵光のようだった。


今年は高野山開創1200年とあって、旅行を思い付いて宿を探したが、安いところは何処も無く、結局割高な老舗旅館となる。
しかし部屋も3部屋あり、料理も旨かった。
龍神温泉はかれこれ40年は通っている。
なんの為かと言えば「鮎料理」の為である。
若い頃は毎食鮎を食べる為に2週間は滞在していた。
まだ解禁前なので天然モノは口には出来なかったが、焼き加減が絶妙だ。


食事をするのは別の個室だった。
翌日、眠れなかったので、朝飯は要らないととれこに伝えてもらうと、
そっと部屋まで料理が運ばれていた。
下の画像の食卓から更に次から次へ料理が運ばれて、喰い切れなかった・・・

ここは美人の湯で有名で、身体が本当にしっとりと気持ちよくなる。所謂、美肌効果だ。
40年近く以前に来た時は龍神ハイウエイもなく、まだ人も余り来ない秘湯のひとつであった。
高野山からガタガタの山道を数時間かけて走った。
その時、村の女性を何人も見たが一様に確かに美人であった。
山奥の村で近親婚で美人の血が濃くなっているのかと思った。
何も湯に入ったからと美人にはなれないだろうが、確かに湿度で若さは保たれる。


翌日は龍神村から1時間半のところにある荒神社へ行く。
谷崎のお勧めのスポットらしい。
吉野の山々が見渡せて素晴らしい景色の先に便器らしきものがある。
壮大なトイレだと思ったが、どうやら便器ではないらしい。


ここは鳥居の寄進が多く、山の上にある本殿までの間、物凄い数の鳥居をくぐることになる。
登り初めで、余裕の顔。


これは真ん中辺り。
トップの画像はあと一歩で頂上の谷崎。
伏見稲荷とはまた違ったもっと「気」の開放感のある異界であった。


高野山に戻り金剛峰寺へ。


桜をまだ愛でる事が出来て良い旅となった。
しかし旅の難点は眠る時間が世間とは逆なので、今回も眠い旅となる。
二日間で計8時間しか眠れなかった。
辛い。
そして、原稿合宿は数日続く。

写真集「さかしまのリリス」二度目の発送は、22日までの入金分を発送。
24日からのご入金分は24.25.26日に撮影合宿が入るので、発送は27日以降となる。
村田 兼一 | 旅行・行楽 | 19:36 | - | - | - | - |

節分あれこれ日記


12月末から1月の20日頃までは朝の8時頃に起きているいう奇跡的な生活をしていた。
元々自然光撮影の為の早起きだったが、それが続くなんて・・・
ここ30年正午より早く起きることなど葬式と親戚の結婚式くらいだ。滅多にないので不思議だった。
寝酒の量も減り良かったのだが、ここ10日程でまた元に戻ってしまう。

なんとかそれを挽回すべく、ここ1週間、山に隣接した神社へ三度ほど出かけた。
ひとつは石切神社、もうひとつは枚岡神社。
寒い中、坂道の参道を歩いていたら夜には眠くなるだろうと・・・
しかしあまり効果はない。

昨日、2月2日に枚岡神社へ行くと、人っ子一人居ない中、白い御神灯がずらりと風に棚引いている。
看板には明日の夕方5時より「節分」の神事が催されるとある。
何となく悔しい思いで、参拝して隣の梅林を歩いた。
心配していたヒザは痛まずに済んだが、「普段未公開の本殿に入れる」とあったのが心残りだ。
一緒に行ったとれこは「ぜんざいが振舞われる」とあるのが心残りだったようだ。

そして再び枚岡神社へ出かけた。
5時より節分祭がとりおこなわれ、神官が本殿に向かって祈祷を始める。
一般の参拝者が中へ入れるのは6時からだ。




一通りの儀式が終わるまで本殿に入れないのでテントの中でストーブにあたっていた。
テントの中には地元の人達が数人ほどだ。
創祀は初代天皇、神武天皇が大和の地で即位される3年前と伝えられている由緒正しき神社なのだが、
その閑散ぶりに淋しく思う。


時間が来たのでいよいよ待望の本殿へ。
本殿も人が少なくじっくり参拝。



しばらくして下へ降りると何処から現れたのかと思うほどの人が沢山居る。
長い行列が出来上がり、とれこの目的と同じく、ぜんざい目当てに人々は並んでいた。


餅のセイロ蒸しは三機フル稼働で子供等もぜんざいを頬張っていた。


帰る頃には階段にも参道にもろうそくが並べられていた。


体が冷えたので家に帰って、イワシの塩焼きと熱燗を夢見ながら家路に着く。
しかし何故かお好み焼きだった・・・


この節分、立春の前日におこなわれる。まさに季節を分けるイベントだが、
由来などフォトテクニックデジタル2月号(発売中)に連載中の「魔女の系譜」で紹介。
写真は関係なくヌードだが。


そして1年ぶりにhakuさんが遊びに来る。
またモデル復帰をしてくれるそうだ。
村田 兼一 | 旅行・行楽 | 21:42 | - | - | - | - |

ふらりと千手観音、がっつりアリス展、フォトテク12月号タマ大変身!

先日久々に京都へ行った。
行く途中に結構太い虹を三度ほど見たのだが、途中道を間違えて七条通りを走ってしまった。
成り行きとして三十三間堂と道を挟んで国立博物館が見えてきた。
「鳥獣戯画展」の看板を見て急に見たくなったが、
その人の多さに即座に諦めた。
しかし折角三十三間堂の前を通ったのだから、千手観音を拝まなくてはと、
急遽立ち寄ることにした。

この一年近くで三度目の千手観音。
最初に見た驚きや感動は薄くなってしまったが、
初体験のとれこは釘付けになっていた。
千体も並ぶ鈍い金色の観音の隊列は圧倒される。
しかし、今は中央に座している千手観音坐像のお顔の素晴らしさが一番ぐっと来る。
下は京都南座辺りから見た虹。



そして目当ての「沢渡朔・少女アリス展」へ
ライト商会・三条店 1階:喫茶 2階:ギャラリー
京都市中京区寺町三条下ル一筋目東入ル
Tel: 075-211-6635


沢渡さんのお嬢様がギャラリストになられていて、
今回ご挨拶をする。
思ったよりも展示数が多くとても見応えがあった。

一階の喫茶スペースでもアリス関連の古物が並んでいた。



ぴこうささんの人形作品も展示されている。
うさぎ先生ともご挨拶する。
やはりこの人の作品はなかなか面白い。
http://foggybell.blog.fc2.com/




随分と雰囲気が変わったタマだが、
11/20発売のフォトテクニックデジタル12月号をご覧になれば、
もっと変わった村田タマを見ることが出来る。
私も有り難いことに相変わらず連載しています。


この後、最近この面々とは中々顔を揃えて会うこともないので
10時過ぎまで場所を変えダラダラと京都でしゃべっていた。

看板猫の梅ちゃん。

 
村田 兼一 | 旅行・行楽 | 22:40 | - | - | - | - |

台風間近横殴りの雨の中民俗学を考察する。


先ずは告知から。
トーキングヘッズ叢書 No.59」にて個展情報がカラーにページで掲載。
10/4〜26まで東京。みうらじろうギャラリーで「着色写真回顧展」を開催します。
詳細が掲載されています。




数日前から東京リチュアルのバンギさんと榴美さんが滞在している。
まあいつものようにそれそれ勝手に自分の原稿をしている。
榴美さんにはフォトテクニックで連載中の写真に付ける「魔女の系譜」の
原稿の案をだしてもらったりしているのだが、毎度何処へも行かない引きこもり仲間だ。

しかし今回は珍しく国立民族学博物館へ行きたいという要望があったので
台風の雨の中、万博敷地内の民博へ高速を走らせた。

先ずはモアイ像が迎えてくれる。




世界各地の風習から宗教生活に至るまであらゆる資料が展示されていて
大量で観るのも大変。


これはルーマニアの陽気なお墓。


キリスト教徒とシャーマニズムが対抗するメキシコのもの。


ブブセラまである。


こちらは日本の祭りに関して。


ねぶた祭りもあった。


中庭は古代遺跡のようなイメージだ。


太陽の塔まで直ぐそこなのだが、横殴りの雨で諦める。
土産物屋で太陽の塔ストラップ二個をタマに頼まれていたが、無理。


この国立民族博物館の季刊誌に谷崎榴美さんが2ページに渡って紹介されている。


現代魔女について語っているみたいで、民俗学的に捉えられている事に驚く。
村田 兼一 | 旅行・行楽 | 19:14 | - | - | - | - |

お伊勢参りは疲れ果ててどろどろの饂飩を食べると言う。

伊勢に来るのは小学校の修学旅行以来44年ぶりだ。
うちから遠くて、別に面白くもなさそうなので、自ら行こうとは思わなかった。
今回はとれこの強い要望に圧された。

片道180キロは疲れる。
家を出たのが午後の2時だからあまり休憩はしていられない。
おまけに途中、とれこに運転を変わった途端にパトカーが後ろに。
30キロオーバーしていたので、ブレーキを踏まないように言って、横からシフトダウンで一気に法定速度に落とした。
赤いブレーキランプが光ったら、そこでパトカーからレーザーを当てられるからなのだが。
ホッとしたのもつかの間、後ろのパトカーに煽られたとれこはパニくり、そのままいたらサイレンを鳴らされて
「パトカーの進路を塞いだ。追い越し車線に規定の距離より長く居た」という違反で
とれはパトカーの中へ・・・・そのまま20分近く経過。。。
青い切符を手に戻って来た。
高速代をケチって名阪国道を選択したのに逆に高くついた・・・
何か先行きに一抹の不安を感じてまた直ぐに運転を変わった。


やっと伊勢インターから伊勢に降り立ち走っていると、途中「月読宮」があった。
「月読の尊」を下敷きに「月読の姫」という作品も制作しているので、
これは参っておかなくてはと先ずは参拝。



「月読の姫」シリーズから一点貼り付けておく。
7/20発売のフォトテクニック・デジタル8月号は連載二回目「月と魔女」の話で、
このシリーズから違うカットを掲載する。



そこから伊勢神宮内宮は直ぐのはずだが、住宅街の細い道にナビがどんどん誘い込む。
「こんな住宅地の細道で大丈夫なのか」と心配していたら
「駐車場500円 内宮直ぐ近く」と看板が橋のたもとにある。
ここでとれが停めようと言うが、神社の駐車場がもっと近くにあるはずと
狭い橋を渡る。なんとなく見覚えがある。
渡って右手に赤福本店があり、これが例の橋なのかと驚く。
テレビで観るよりもあまりにも狭い。

右手奥が赤福本店 翌日の画像


渡りきったら参道で両脇に土産物屋や伊勢うどん屋がズラッと並んでいるが、
平日の午後五時のせいか、殆ど人は居なかった。
そのまま左折してしばらく行くと大きな鳥居が見えてきて駐車場もありホッとする。



内宮の森を歩き、本命の御正殿を参る。
本当は外宮から巡らなくてはならないが、5時着ではとても無理なので許してもらう。


帰り道に池があり、120センチを超えていそうな巨大な鯉がうようよ居た。
タマの土産に撮っておく。


そして鳥居を抜けて参道に出た時、猛烈に腹が空いていた。
薄暗がりの中、猫がのびている。

しかしモノの見事に一軒の店も空いていない。
5時半で殆ど閉まるみたいだ。
茶色い看板のファミリーマートが眩しいだけ。
そんな中、一軒だけやっている店を偶然見つけ食事にありつけた。
それも好物の「ひつまぶし」があり、ご飯は殆ど要らないと注文する。
とれこは牡蠣雑炊セット。


食後、日帰りツアーという事で来たのだが、既に運転する気力もなく、
何よりも赤福本店に行っていたないことが気がかりだった・・・

そしてラインで「伊勢うどんをたべなければ」と
命じられたのに果たせていない。

スマホで宿を探し夫婦岩近くのホテルの空きを見付ける。
この辺りに小学生の修学旅行の時も泊まった。
中途半端に古いホテルだが、露天風呂でゆっくりと出来た。
そして12時には寝てしまい、3時に目覚め、そこからは一睡も出来なかった。
不幸だ。
これならば無理して日帰りの方が楽だったかも知れないと嘆く。

10時にチェックアウトしてトンネルを抜けるとすぐに夫婦岩がある。
やたらにカエルの置物が目立つ。
小学生の頃、これを見ているはずだが何となく印象が違う。
梅雨なのにとても全体がカラッとして小さく感じる。
小学生の時は、全体に大きく暗くてジメッと感じていた。


後ろのカエルが中々不気味だ。

そして慌てて伊勢は内宮の参道へと戻る。
前日、赤福本店の行く橋のたもとにあった駐車場を目指す。
土曜日なので途中の駐車場はどこも満車で心配したが、
500円から「1000円」に値上がっていたものの、車も停めることが出来た。

そしていよいよ橋を渡り赤福本店で**を食べれる。
店に入りメニューを見ると「赤福3個 お茶」しかない。
「これしかないの??」と嘆くと「赤福に来て何があると思う?」と言われた。
もっとこう違う上品な和菓子もあると想像していたのだ。
向かいの赤福別館でカキ氷と言うが拒否される。


まあ伊勢に来たからには本店で赤福を食うのが正道と諦め一口食べると、
買って帰るものと違い、餅が柔らかくてどんどんと食べてしまい、
2個まで食べた。
しかし流石に糖質制限をしている身にはこの甘さは辛くて
最後のひとつはとれに任せたが。

参道をおはらい通りと呼び、橋を渡った道の向こうには新しく、
おかげ横丁なるものが出来ていて、古びた街並みを再現していて
そこを巡ることにした。
新しいといっても20年前からあるらしい。



ここで神保町画廊の佐伯さんが
「是非、伊勢うどんを食べているところを写真に撮ってください」
と言うので、ポーズをつける。

しかし「ゆで過ぎたうどんの何が旨いのだ!」とキレながら半分美味しく食す。
なんとなく油ソバを想起した。
糖質制限の身にとって、半分が精一杯だった。

このうどんの由来は江戸時代、お伊勢参りが流行った頃、
フラフラになりながらやっと辿り着いた旅人がすぐいつでも食べれるようにと
煮込まれていたのだ。江戸時代ならばいざ知らず、今はうどんは讃岐だ。

名古屋の方にも悪いが、あの平べったいきしめんも好きではない。
そもそも糖質制限している我が身において、
何故一泊してまで「赤福本店」と「伊勢うどん」を目指したのかは不明である。

そして帰りに赤福を土産に買いに寄ったときに、
偶然隣にある五十鈴茶屋という赤福系列の抹茶と和菓子を頂けるところを見つけてしまう。
最初に想像していたものなので、お腹も一杯だが入り、この上、また水饅頭を食した。
以降、翌日の夜まで胃がもたれることになる。


カメラ sonyーRX 1, canon MI
           
村田 兼一 | 旅行・行楽 | 00:55 | - | - | - | - |
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