南富良野釣行紀。

 

午前11時過ぎに家を出て、高速を1時間ほど走り関空に辿り着く。

昼ご飯を空港で食べる時間がなくサンドイッチを機内に持ち込んでの食事となる。

飛んで直ぐ、先ずは琵琶湖が見えて来た。

 

そして新千歳空港でレンタカーを借りて、また高速と下道を2時間ほどひた走る。

南富良野の道の駅が閉まる20分前に到着。

晩御飯にご当地レトルトカレーを購入。

この時、道の駅に居たヒグマを見て初めて「そうかヒグマが出るんだった」と気付く。

 

隣のモンベルのヒグマにも挨拶をしてホテルへ。

ホテルのポイントがあったので、何気に南富良野にしたのだが、

少しホテル代が安い分、レストランと湯舟はない。

代わりに道の駅とシャワーが付いている。

部屋は新築だし綺麗で豪華だ。

 

ホテルの一階にキッチンと食卓などがある。

 

月が綺麗なのでテラスで食べても良かったのだが、大阪人には夜は少し冷える。

 

翌日は道の駅のレストランで自慢の「ナポリタン」を食べるが何とも甘い。

北海道の味付けは甘いか凄く塩辛いか、と言うのが多い。

北海道のコンビニは見慣れないものが多くて楽しい。

ポテトは分かるが鮭とばのコーンチップは初見だ。

トウキビのモナかアイスも見たことがない。

なにより雪印製の「ソフト カツゲン」とはいったい何なのか??

 

コンビニ話は置いて。

釣りは滝つぼ辺りに5センチのミノーを落として早引きで直ぐに一匹釣り上げる。

初の道産子トラウト。

 

珍しくとれこも釣りをする。

ウグイばかり3匹釣り上げる。

 

 

しかし、熊が恐くて上流の浅瀬の渓流には行く勇気はなく、

ラフティングのボートにどんどんと流れて来るので釣れなくなる。

夕方、かなやま湖へ。

ここは水位が低く、水がかなり濁っていた。

魚の気配はない。

 

おばさんの話では「熊が湖を泳いでいた」らしい。

 

かなやま湖からの帰り道、「鉄道員(ぽっぽや」と言う昔流行った映画のロケ地があると言うので立ち寄る。

 

しかし、この駅も水害のあおりを受けて廃線になるそうだ。

風情のある駅舎なのに勿体ない。

 

今夜も月が綺麗。

 

3日目、昼飯に森の中のログハウスの蕎麦屋へ。

老人が一人でやっている。

腰の強い太い蕎麦だが、ツルツルだ。

釣りの話を聞いたら、店の敷地から川へエントリーさせてくれた。

 

大盛を頼んだ。

中々の歯ごたえだ。

 

日陰を選びながら釣り場所を変えてゆく。

 

ここはラフティングも来なくて良いのだが、直ぐに飛行機の時間となり、また高速に乗って空港へ向かうことになる。

千歳空港ではイクラ丼を味わい、8時半のANAに乗る。

雲海と月が幻想的だ。

 

金沢辺りで雲海が途切れ、街の灯と海に月の光が反射するのが見えた。

何とも美しい。

 

そして10時半に関空に到着。

高速を1時間ほど走り無事帰り着く。

 

 

村田 兼一 | 旅行・行楽 | 00:39 | - | - | - | - |

個展後のテイタラクは常、キャンプと京都の骨董市へ行く。

個展在廊の為に良く効く眠剤を飲み始めてから、毎日頭がボンヤリとしている。

東京から帰ってからの生活ぶりは酷いものだった。

喝を入れる為にキャンプに行く。

日曜の夜はキャンプ場は閑散として誰も居ない。

思い存分焚火をする。

 

 

喝を入れたところで、神保町画廊の販売分のプリントに入る。

今回は使用したプロ用プリンタが三種類。

故障の為、突然5月に2世代目のプリンタから3世代目に移行してからの作品、一番量の多い前現役機2世代目、そして10年前の1世代目の3機種に渡るプリンターの作品を販売した。

 

部屋のスペースから2台置きが限度で、初代には椅子に座ってもらいプリント。

2世代目はよく潰れて計4台購入している。

大抵個展直前で、修理を待っている時間がないので即日購入となる。

 

そして今日、プリントが一段落したので、とれこの頼みで京都の骨董市へ。

鈍色の小雨交じりの中、高速を走る。

高速代は高いが30分ほどで京都だ。

骨董市の前に退院祝いにリクエストされた菓子を買いに寺町二条辺りの村上開新堂へ。

 

ここのクッキーは1年待ちなので、店先で買えるロシアケーキを購入。
ここで宅配を依頼すると1週間待ちなので、すぐさまヤマトへ持ち込んで送る。
ロシアケーキと言うシロップ漬けの果実やジャムの付いたクッキーを自分用にも購入。
なんとも昔懐かしい。
子供の頃に口に入れていたあの味だ。
そして、昼飯を食わないまま骨董市会場へ。
ローマ銀貨や明治の金貨を眺めつつ、実用的な撮影小道具を購入。
ガレ風のキノコランプ。
柄はタツノオトシゴだ。
その他は蓋つきシリンダーに三角フレスコ、
画像はないが、ガマガエルと亀の描いた古伊万里の小皿を買う。
ギリシャ銀貨は使えないので購入を控える。

 

眠剤を止めて酒を復活させるか、眠剤になれることにするか・・・

いずれにせよ依存気質だ。

脳がボケだすと生命力が弱くなり、生きる気力が半減する。

何より頭が回らないので他人との会話が辛くなる。

 

兎に角、次の写真集の編集もあるので、何とかしなくては・・・・(続く)。

 

村田 兼一 | 旅行・行楽 | 21:18 | - | - | - | - |

秋の山キャンプ

 

 

突然の入院で行けなかったキャンプ、先日行って来た。

昼間は暖かなのに、夜になると山の気温は気温は7度くらいになる。

隣に寝ていた姪が夜中の3時にむくっと起き上がったので、

「寒いのか?」と尋ねたら

「ゴマアザラシの夢を見ていたから寒かったと思う」と言った。

 

 

翌日は朝飯昼飯と食って4時頃帰る。

のんびり出来るけれど、テントの設営や撤収作業がきつい。

そろそろカップラーメンのみのシンプルなキャンプに切り替えようかな。

そして渋茶を啜る。

 

前回このキャンプ場へ来た時に撮影していたキャンプ用の茶器が発売された。

この時はモデルをやらされた。

 

キャンプ用のコーヒーセットは多いのだが、紅茶や日本茶は少ない。
マクアケというクラウドファンディングで発売される。
一人暮らしのポットとしても使い勝手が良い。
よろしければ覗いてみてください。
村田 兼一 | 旅行・行楽 | 23:37 | - | - | - | - |

北海道紀行と、その前にキャンプ

 

 

10月22日から北海道へ行った。

その前に姪、大姪、とれこと近場のキャンプ場にも10月9.10日と出かけた。

緊急事態宣言や病気やケガでの入院が落ち着いて、1年4ヶ月ぶりのキャンプだった。

コロナが酷くなっても入院出来ないというのは、恐怖だった。

 

大姪小学6年生のはしゃぎぶりは、近隣のテントにも聞こえるくらいのもので、

まあ、抑圧された日常だったんだなーと、ワインと日本酒を飲みながら焚火を囲み、

日中の暑さから一気に冷える山の冷気を楽しんだ。

 

そこから約10日後、8月に予定していた北海道旅行を、函館から留寿都に変更して行くことに。

ウェスティン・ルスツが安くて2階層あるので、とりあえずここを拠点に考えた。

何をするかは前日にまとまった・・・

 

22日

半分寝ぼけながら10時55分発の新千歳行きのANAに乗る。

しばらく飛ぶと琵琶湖が見えてきた。

20年前取材で毎月飛んでいたが、琵琶湖を見ていたかどうか思い出せない。

十和田湖は覚えているのだが・・・

 

 

空から北海道に入ると、その大地の色が内地と異なり、毎度のことながら目を見張る。

 

サロメちゃんと千歳空港で合流して、先ずは目指していた海鮮丼で昼食を済ませる。

臭味もなく新鮮旨い。

インバウンドで景気が良いのか、空港がゴージャスになっていた。

 

レンタカーで憧れのウポポイ(民族共生象徴空間)へ。

8月の予定時は、いつものメンバーサロメちゃん、とれ、タマ親子と行く予定だったが、

タマは10月の個展と重なり残念ながら欠席。

 

敷地は広大でアイヌの住居など再現されていたが、45年前に洞爺湖でこういった施設を見たことがある。

結構あるようだ。

ウポポイに生まれ変わってからは初めてだが、2000年頃、以前のアイヌ民族博物館へは取材で来訪していた。

以前とは見違える程の近代建築と建物の多さ、学芸員の楽しそうな様子・・・20年も経つのか。

 

資料館の中で写真を撮っていると学芸員のお姉さんが「お写真撮りますよ」と。

そしてカメラを構えて「ハイチーズ」と言う代わりに、妙な拍子を付けて「ウ、ポ、ポ〜イ♪」。

予想外のかけ言葉に一同笑ってしまった。

 

 

 

留寿都のウエスティンまで、山道を60キロ行軍。

両脇の森からエゾジカの目が光る。

空には月が光っていた。

 

23日

留寿都はスキーリゾート地だけあり寒い。

朝は雪が降っていた。

本日のカヌーに一抹の不安が過ぎる。

 

支笏湖までの道程、廃校跡にカフェレストランと宿、キャンプなどがあり、昼ご飯に立ち寄る。

「雪月花廊」

 

看板ネコがまた可愛い。

京都・ライト商会の故・金太郎を想い出す風貌だ。

 

全体に白い爺さんになってしまった私。

 

各教室、様々な昭和レトロに囲まれていた。

 

支笏湖へ。約60キロの道程。

 

 

紅葉が良い感じだった。

 

 

24日

最終日は5時55分のフライト。

早目に空港へ行き、土産物屋を物色する予定だった・・・が、

道の駅やら、羊蹄山を見るとか、ダメ押しに道中、管理釣り場まで見付けてしまった事だ・・・

 

 

いい感じに山に白い雲が棚引いている。

ジャガイモ畑の前で(ジャガイモではないかも知れない)。

 

空港へ行く途中、ネットで見ていた管理釣り場の看板を見付けてしまう。

1時間だけ、竿を出す。

管理釣り場のおばさんに「1時間では何も釣れんよ。ここは厳しいよー」と釘を刺される。

「ビッグファイト松本」

 

釣れても釣れなくとも、こんな景色の良いところで、魚を追えることが気持ちいいのだ。

 

そして千歳空港へは滑り込みセーフで、自前の機内食を頂き北海道を後にする。

こうしてまた体重が増えてしまった・・・

今回はラーメンを食べそこなってしまった。

また来年、トラウトを釣りに来る時にでも食べようと目論んでいる。

 

村田 兼一 | 旅行・行楽 | 20:27 | - | - | - | - |

こんな時期だが神話の世界へ。

 

私はここひと月、リハビリが上手くいかずに膝を悪化させてギックリ腰になってしまった。

歩き方が悪いのか足の指にヒョウソが出来、切開して抗生剤を飲んだが中々治癒しない。

イライラは募るばかりのところへ、とれこに「旅行に行きたい」と言われ、こんな時にとキレ気味になるが・・・

ヒザも腰も足の指も良くないので、目的は宮崎のバブリーなホテルでのんびりすることで手を打った。

 

しかし急に「高千穂」のことを思い出し。

あの高千穂・・・すると居ても立っても居られない。

中途半端に遠くて山奥。ヒザもアレだし、もう行けないかと思っていた神話の世界、

.....空港からレンタカーならば行けるではないか。

 

こんな時期だが、翌週には緊急事態宣言が出るであろう。

その前に出かけなくてはと、飛行機と宮崎のホテル、レンタカーをとれこに予約をしてもらい、翌日出かけた。

 

4月14日

昼の1時頃にホテル着。

昼ご飯代わりに苺のスィーツ尽くしを頂く。

 

ここはバブルのはじけた後に建てられたのだが、広大な松林の中にポツンと43階建ての高層ホテルが異様にそびえ立つ。

今ならば環境破壊と反対運動が起きそうだが、遠くから見ると面白い景観だ。

ホテル自体は2017年に大掛かりな改装をしているらしい。

 

プールの前にインスタスポットなのか、ベンチの周りに花が囲っている。

これもなんとも妙で可笑しい。

 

キャンプ気分も味わえるみたいだが、ガス火の焔は心が揺らめなかった。

 

夜は部屋で大人しくレストランの料理をテイクアウトして食べる。

そう言えば、ウイークデイとは言え人の数が少ない。

ホテルから5分ほど離れた和風大浴場も数人しか居ない。

感染者数が1200人の都市から9人のこの街に来たのだが、

この街の方が予防意識は高いと思える。

冷えてても美味しい鰻を食べながら、明日の高千穂の宿の予約を取る。

 

翌日は早めに憧れの高千穂へ行くはずだったが、朝食をゆっくり食べてしまい結局11時過ぎにチェックアウト。

慌てて高千穂へクルマを走らせる。

しかしいくら頑張って走っても高速でもない130キロの道程は2時間かかった。

 

1時半、高千穂峡に到着。

お馴染みの高千穂峡の景色をこの目で見る。

 

この時、アップダウンのある観光歩道をなんとか途中まで歩いた。

何も考えず、欲に任せて歩くのが良かったのか・・・

 

途中、コンビニのおにぎりを食べながら天岩戸神社へ。

ここ数年ケガや病気ばかりなのでお祓いを受けることにする。

お祓い後、川向うに隠されている天岩戸に案内され拝観する。

 

そして今回、高千穂峡の次にお目当ての天安河原へ。

拝殿は天岩戸神社内にあるが、神社を出てその奥に神々が集まり相談した当の場所があると言う。

 

直ぐそこにあると思い、川沿いの道を歩くも中々辿り着かない。

ヒザも限界になりかけた頃に天安河原が現れた。

 

 

ここは賽の河原のように其処彼処に石が積み上げられている。

私たちの他に女性の二人組が居たが、石がないと途方に暮れていた。

この辺りの全ての石が願を掛ける為に積み尽くされていた。

 

 

晩飯は周辺の食事処は早くに閉り、ホテルのレストランで頂く。

レストランの客は我々2人ともう一組、計4人だけ。

去年の夏、滋賀の老舗旅館の夕食を思い出す。

 

そして3日目は阿蘇へ。

テレビでよく見る阿蘇の印象は私的に「面白味がない」と言うものだったが、

この360度カルデラの山に囲まれた景色を見るとなんとも心和み、

ジオスポットのそのものの奇景を見ると心躍る。

 

道の駅で蕎麦を啜り、中岳中央火口展望台へ。

この日は生憎の雨。

山もここまで登ると肌寒く、横殴りの小雨に震える。

 

熊本空港までナビの到着時間を逆算して、30分の猶予があったので阿蘇の温泉で体を温める。

レンタカーを返却して午後6時20分のANAに乗って帰る。

宮崎〜熊本の旅だった。

下の画像は大阪の街の灯。

 

帰宅した翌々日、春休みにキャンプに行けなかった大姪と姪にスイーツを作る。

 

そしてサツキが咲き出した庭で焚火でお茶にする。

この日も天気が悪く、肌寒さに焚火が暖かい。

帰宅してもう直ぐ1週間だが、足腰が疲労のせいか未だ回復せず。

なんとなく元の木阿弥状態だ・・・

 

 

村田 兼一 | 旅行・行楽 | 21:09 | - | - | - | - |

お盆前後や新写真集話少し。

 

 

七菜乃さんの撮影合宿翌日に琵琶湖へ鰻を食べに行く。

とは言っても鰻は翌日で今日は石山寺に参り宿へ。

高校時代小説家希望だったのに世界最古の小説「源氏物語」が執筆されたという石山寺が、

滋賀県のどこにあるのかも知らなかった。

しかしヒザの再手術から20日、距離が全く歩けなく山門までで諦める。

 

 

丁度去年の今頃、やはり琵琶湖へ鰻を食べにサロメちゃんやタマ、とれと来ている。

身体が求めるのか・・・

>>>去年の小旅行

 

 

世間ではGOTOトラベルなどやっているが、湖畔の宿は50室ほどあるうち、3つしか稼働していない。

お風呂は独り占め状態だった・・・淋しい話だ。

 

旅館の朝は早い。。。

10時にはチェックアウト、鰻タイムまで時間があるので近くの博物館へ。

ここは9年前にタマと来たことがあるが、増築が繰り返され、もはや同じ博物館かと疑う程に違う。

>>>2011年琵琶湖博物館

 

 

子供の頃、我が家にはまだ竃はあったが、年に一度の餅つきの日にしか使われていなかった。

 

美術館、博物館で楽しいのは売店だ。

あつまれどうぶつの森で「恐竜のうんこ」なるものが出てくるが、

これはと思い買ってしまった・・・

 

そして腹も空いてきた午後一時頃、瀬田の唐橋近く「うなぎ料亭 山重」へ。

駐車場の難易度が高い店だ。

ひつまぶしを頂く。

ほぼ出汁茶漬けで食べる。

疲れて飯が喉を通らない時に重宝するが、単に旨いから茶漬にしている。

 

 

 

お盆は12.13.14日と親戚が来る。有り難し。

あつ森など一緒にする。

そこからも写真集の編集はほぼ終わっているからと、あつ森の日々であった。

 

親戚の女子高生が島に遊びに来る。

矢鱈マンボウを出したがる・・・

翌日はまだやっていない姪をあつ森に引き込む。

 

 

昨日もお昼に甥の娘11歳とお互いの島を行き来して交流を深めた。

連れションも出来る。

 

夜はモデルさんなどをしている方と。

 

下の森は祖先の森と名付けている。

 

あつ森の話をツイートすると100人くらいフォロワーり方が減ったので、

あつ森アカウントを作って、そちらで主につぶやく。

誰もフォローしてくれませんが・・・@kirarababe

 

そして先週、急にひっ迫してきて慌てて編集を見直したり、画像を確認したりとこもっていた。

トップの画像は表紙案。

これから宣伝いたしますが、秋の発売よろしくお願いいたします。

 

村田 兼一 | 旅行・行楽 | 20:14 | - | - | - | - |

個展終了 二十五来迎像初見

神保町画廊での個展が終了しました。

お越しになられた方、ツイート・リツイートしてくださった方、

有り難うございます。

村田は精進してこれからも作品制作に励みます。

モデル志望の方もよろしくお願いいたします。

では、最近の行楽日記です。

 

テレビを観ていて當麻寺に「二十五来迎像」なるものが映し出された。

いつもいつも本堂にひっそりと鎮座している中将姫を見るために数年に一度訪れていたが、

阿弥陀如来来迎図などは特に好きで、それの像が当麻寺にあるなんて夢のようだ。無知も甚だしいが、なんともうれしい限りだ。

 

来迎図とは、阿弥陀如来が臨終に際して25人の観音の楽隊を連れて浄土から迎えに来てくれるというもの。

それが當麻寺(当麻寺 たいまでら)の奥の院、宝物館にあるという。

それを知ってから数ヶ月、行きたくて行きたくてたまらなかった。

個展が始まり、撮影も一つ終えて個展の終わる頃、やっと来迎像を拝観する事が出来た。

 

 

リカちゃんサイズの観音様の楽隊はなんとも愛らしく緻密に作られていて神々しい。

奥の院の庭も特別拝観の襖絵もそこそこに目指すは宝物館。

存分に仏の楽隊を愛でた。

 

この日はと言うか、この日も夕方からの拝観で直ぐに時間切れとなり、

本堂の中将の姫も見ることは出来ずに帰ることになる。

そして4日後、また当麻寺へ。

 

この日は先ず本堂へ、中将姫の座像を拝見しに行く。

ここの寺には姫の座像は多く、知っているだけで4体は見ている。

しかしこの本堂の薄暗い隅に座しているこの像が一番の出色である。

なんともなまめかしさがある。

薄暗がりの中に白い肌と赤い唇が浮かび上がって見える。

 

しかし久しぶりに見た中将姫はどこか様子が違う。

なんとスポットライトを浴びている。

密やかなる妖艶さはどこか狂気が強く見えてしまっていた・・・残念だ。

 

次は西南院の千手観音、十一面観音、聖観音と秘仏三尊を拝観に。

どれもお顔が素晴らしい。

そして裏庭がなかなか立派なものだった。

池の周りを小高い丘を登りつつ眺める趣向なのだ。

 

そして再び奥の院へ。

25楽隊を愛でる。

今回は曼荼羅図もしっかりと拝見する。

帰り道、寺の掲示板を見て、昔から婦人科系の漢方の中将湯と言うのがあるが、まさかここの姫様が由来だとは知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

村田 兼一 | 旅行・行楽 | 00:35 | - | - | - | - |

ヒザの具合と安曇川の鰻。

ヒザの皿を割って早や3ヶ月、

いまだに上手くは歩けない。

 

しかしまあ、遊びに行ったり、日常の趣味程度など出来るほどには回復している。

まだ数百メートルよちよち歩きが出来るくらいで、なかなか筋力が戻らないことに焦燥感を覚えるが、

日々出来ることをするしかないと諦める。

しかしそろそろモデルさんに迷惑をかけながらでも、撮影などをしなければとも思う。

 

8月は初旬にサロメちゃんやタマ親子たちと琵琶湖でカヤックに乗ってから、

以前から興味のあるカヤックやキャンプ道具など買い始めた。

夕暮れの静かな湖水が忘れられなかった。

 

お盆を境に少しは歩けるようになり、8月も終わる頃、琵琶湖へ。

 

クルマから直ぐの浜辺でワンタッチのテントを張り、ベースにしてとれことカヤックで琵琶湖に出た。

しかし前回と何かが違う。

ちっとも楽しくない。

ココロ洗われない・・・

 

 

最初に思ったことだが、波が高い。

必死にパドルを動かしていないとどんどんと流されていく。

前回は静かな湖面でまったりと時を過ごしていた。

こんなハズではなかったとストレスが逆に溜まった。

 

何だか満たされない気持ちで琵琶湖周航は終わり、

暗闇の中、慌てて撤収する。

その時ふと、或る鰻屋を思い出した。

以前、タマに連れられて行ったところだ。>>>その時のブログ

そして満たされなかった想いを「安曇川の鰻」にかけてみた。

 

 

もう間に合わないかもしれないが、今津の西友までクルマをひた走らせて、なんとか辿り着く。

流石に臭味もなく清らかで美味だった。

クルマでどんどんと北上してしまったので、家まで200キロ。

眠くて辛い帰り道となる。

 

忘備録としては、去年8月初めに作ったビオトープだが、赤土などの疲労や腐食植物の体積などからまた一から作り直す。

今回は赤玉を小粒から中粒、麦岩石も中粒に変える。

底上げに軽石を使って失敗。

軽くて浮いてしまう・・・当たり前か・・

煉瓦で底上げする。

 

メダカ水槽の睡蓮鉢二つも底砂から変えていく。

かなりのヘドロが溜まっている。

ひとつの鉢のウイローモスの塊に百匹を超えるヌマエビ・・・

卵がなかなか出来なかったのはこれのせいなのか?

食べてた?

 

その後、9月までにメダカが去年と違いどんどんと死んでいく。

2年目なので手入れなど飼い方が悪いのだろう。

今は2.30匹産まれ、隔離した稚魚を育てている。

 

村田 兼一 | 旅行・行楽 | 22:51 | - | - | - | - |

琵琶湖周遊小旅行

8月に入ってサロメちゃんの夏季休暇にタマ親子ととれこと5人で参加することになった。

その前に長らく長距離を走っていないので、7月も終わり頃、奈良はくるみの木に行った。

考えてみたらドライブは5月に骨折をして以来初めてかも知れない。        

            

    

8月の小旅行も近場の琵琶湖にしておいた。

高速で1時間、先ずは昼飯に行く。

2年前、「逢坂の関」があったという、京都と滋賀の県境のうなぎ屋へ行った。

二軒の老舗うなぎ屋が並んでいて大谷茶屋へ入りたかったが、夜の8時で閉店、間に合わなかった。

この時は隣のかねよに行った。かねよも人気だが、京都にも店がある。

そして今回は逢坂の関と言えば「蝉丸」と言うことで蝉丸神社で待ち時間を過ごし、大谷茶屋へ。

 

 

 

子供が騒がしいということで個室に通してもらった。

 

鰻が出てきたら、皆一様に唸るように食べる。

なんとも香ばしく焼かれているのにとてもジューシーだ。

 

蝉丸の有名な和歌。

もっとも坊主めくりで有名かも。

そして4時頃マリオットへ。

 

夕方6時くらいからカヤックをする。7時半の日没まで湖に浮かんでいて、この1時間と少しでカヤックの虜になってしまった。

元々フローターという大型の浮き輪に乗って釣りをするのが好きだったので、カヤックは一度やってみたかった。

 

 

 

水の上に漂うのは本当に楽しい。

 

夜は守山のスプーンへ。

ここも美味しい店だ。

 

翌日は朝食後、近江八幡神宮のたねやへ。

私はかき氷を食べた。

そして近江に来たら「丁稚(でっち)ようかん」を土産に買うべきと主張してみる。

 

こちらも「たねや」の新しい店舗。
フンデルトワッサーみたいな建築だ。
湖東はたねや王国となりつつある。
宮崎映画の風景にも似ている。
炎天下の中、疎水で釣りをしたり撮影をしたり。
膝は随分と良くなっている。
5月にクリニックで抗うつ剤を初めて処方されたが、
10日ほど前からクスリなしでも調子が良い。
既に鬱は晴れたと先週あたり医者に言ったが、どうしても抗うつ剤を処方する。
医者のおかしな習性なのか、一気に治ることはないから飲んでおけと言うことなのか。
今のところ飲まなくても快調だ。
膝と鬱が良くなればまた撮影に励まなくては。
その前に琵琶湖から帰宅後すぐに購入したカヤックに乗りに行かなくては・・・
村田 兼一 | 旅行・行楽 | 22:58 | - | - | - | - |

吉野上千本桜と吉水神社。

今年は4月16日と例年より遅くに花見に行く。

奈良県吉野は千本桜だ。

この日はマイカー規制の日で吉野山観光駐車場へ車を入れることは出来ず、

麓の吉野温泉元湯近くの仮設の駐車場へ誘導される。

 

車を降りてしばらく川沿いの道を行き、旅館を横切りると道は急に獣道に。

そして獣道はほぼ垂直の斜面をつづら折りに続いていた。

思いもよらない試練だ。

 

息切れをしながら何度も休み休み斜面を登る。

やっと着いたところが「吉水神社」

ここからは上千本が一望できる。

いつもは下千本が良く見えるところから見るので景色が違う。

 

ここは源義経と静御前、弁慶がしばらく隠れ住んでいたり、

京から逃れてきた後醍醐天皇が皇居として南朝を開いたりと、

なかなかにすごい処だが、吉野の山奥ゆえにどこか垣根が低い。

宮司さんもとても親切でフレンドリーだ。

 

神社の奥、書院建築の建物に入る。

入り口では狩野雪山の襖絵が普通に襖として使われている。

けつまずいて破りそうだ。

 

南朝時代の天皇の玉座。

 

豊臣秀吉も花見に来ている。

書院の部屋は宝物で溢れていた。

 

そして庭から裏門の向こうに金峯山寺が見える。

青い異国の地から来たような大きな仏像を見たくなる。

そこからは慌てて金峯山寺の蔵王権現を目指して急いで歩く。

 

しかし着いた時にはもう参拝時間は過ぎていた。

お参りだけを済ませて帰路に就く。

途中参道のお店で好物の葛切りを頂く。

 

帰り道はつづら折りの獣道を避けて遠回りをして帰る。

こちらの方が道はなだらかだった。

 

そして翌日から腰が痛くて立ち上がれない。

物に掴まって「ヒーヒー」言いながら立ち上がる。

今日20日はこまりちゃんの撮影日だったが、さっと立ち上がれないと撮影にならない。

諦めて一日画像処理をしていた。

 

 

村田 兼一 | 旅行・行楽 | 23:00 | - | - | - | - |
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