制作雑記

モノクローム写真に彩色を施した村田兼一の妄想世界を創るまでの製作過程。
おもにデジタルカメラ、ポラロイドによるテスト画像を中心に掲載いたします。





某月某日日記。
某月某日
涼しくなってきたので夕方とれこと山道を散歩する。

某月某日
涼しくなったので急に撮影する気になり、撮影案を煮詰め出す。
テーマは魔女。



某月某日
森の中での撮影案の為にテストに行く。
最近、タマがまた痩せてしまい、このままでは昔流行ったアジアンロリータの様だ。山での撮影は今週の土曜より開始する予定。



某月某日
毎週プールで水中撮影していたら、コンパクトデジがまたおかしくなってきた。
代わりにちゃんとした水中カメラを購入に行く。

安く買え、見知らぬ土地、見知らぬケーキ屋へ入る。


帰り道、いつもの山道で今年3度目の横転事故が目の前で起きる。
通り過ぎて走りながらドアミラー越しに撮る。
ここの山道は毎年色々と事故が多発する。Y師も今年この道で車を喪失した。南無。



某月某日
山の気温は21度。水中撮影がしたくて無理やりタマとプールへ行く。
山の上ホテルの室内プールには暖房が入っていた。
しかし1時間ほどでねを上げて出てしまい、水中での良い写真は撮れなかった。
続きは来年に持ち越し。

| 村田兼一 | - | 02:59 | - | - |
近所の天孫降臨伝説の地。



我が家から車で30分ほどの所に「天孫降臨伝説」の神社がある。
UFOを思わす巨石がそのご神体だ。



天孫降臨とは天照の孫が高天原から地上へ降り立ち、ヤマトを統治する神話なのだけれど一般に有名なのは九州の高千穂地方のもの。
我が河内磐船神社はかなりマイナーで一見まがい物かと思うのだが、これも実は日本書紀に記されている本物だ。
九州の天孫降臨は天皇家のもので、河内地方の天孫降臨は物部氏のものらしい。当時の物部氏の尊貴性の高さから日本書紀に記載しない訳には行かなかったらしい。

そんな歴史はともかく、ここには洞窟巡りなるものがあり、それがしたくて山崎と3度来て先日3度目にやっと洞窟に入ることが出来た。
ところが険しい洞窟ゆえ、荷物があると危ないという理由で全ての荷物を神社が預かってしまった。
確かに手に何かを持って歩くのはかなり危険な洞窟だったが、別に撮影禁止でもないのに、何も撮影せずに帰って来たのはかなり悔しいので、再度カメラを腰に巻きつけてタマと撮影に行くことにした。

入り口。入り口からイキナリ階段で岩場を下っていく。



洞窟と言うよりは岩場。巨大な岩の間をすり抜けていく感じだ。





タマは何度も「足を滑らしたら頭がかち割れる」とビビっていた。
白い袈裟を神社で渡されて付けて行くのだが、確かにメットを渡して欲しい。



この胎内巡りを思わす洞窟巡礼は30分ほど岩の隙間を上を下に巡り、所々で地底の広場みたいなものがある。
広場をグロテスクに飾り立ててグロッタを作れば楽しそうだ。



山にはナント天の岩戸まである・・・・・





この近くには天の川があり、織姫や牽牛の神社もある。
ご神体は隕石だとも言われている。
これらもまた是非見てみたい。

ともかくまだまだ暑さが続きますが
        残暑お見舞い申し上げます。


| 村田兼一 | - | 23:59 | - | - |
タマ、ポチを激写す。


ポチがグァムとヨーロッパの土産を持って久々にやって来る。
最近、写真を撮り始めたタマはポチをモデルにカメラの練習を始めた。
1年ぶりに前髪パッツンになったポチをこちらも横から撮ってみる。



先日の大雨のせいか夕刻以降は涼しく
なんとかギリギリ撮影が出来た。

もうすぐ7月も終わり。
なんだかんだで晩夏まであと少し。
夏の終わりとか好きである。
物凄く勢力のあったものが滅びていくような
盛者必衰のような 太陽が沈むような
虚しいけれどうれしいみたいな感覚。

先日、タマのレポートを代筆する為本を読んでいたら
夕陽と言う言葉は中国では紀元前200年くらいまでは漢詩に出てこなかったとある。
夕陽の自然の美しさよりも、勢力のあるものが没落していくイメージの方が強く、忌語となっていたようだ。
どんどんと時代は複雑になって今や廃墟も晩夏も悪いイメージではない。

| 村田兼一 | - | 03:53 | - | - |
水中日記。


暑さが厳しくて日中に外に出る気も起こらなければ、ほとんど何もする気もしない。
ここ最近、釣りすら行ってない。体力のなさを実感。

体力を付けるのと涼を求めてプールへ行く。
毎年行っている山中の人気の無いリゾートホテル。

初めは家族連れと水の中を歩くお婆さま方等居たけれど、30分もしないうちに誰も居なくなった。ここは大体4時を過ぎると誰も居なくなる。

タマをプールサイドで撮ってみるけれど・・・



胸にボリュームが無いので難しい。
水中撮影は光量不足となる。



潜ってばかりいたけれど、プールから上がってからは暫く動けないほど疲れていた。
そしてその日は眠剤もなく眠りに着く。
夏場は暑いだけで疲れて薬無しで眠れることが多い。
ただ次の日、疲れていて折角早起きしても何も出来ないのが残念。
もう少し体力が切に欲しい。
| 村田兼一 | - | 01:21 | - | - |
或る意味キリスト教化した人魚姫。


頭の中であの唄がエンドレスで流れている。
開演初日、思い立ってネットで予約をしたら席が取れた。
と言うわけで、初日に山崎と「崖の上のポニョ」を観に行った。
夜の10時からの開演だけど流石に満席。
映画館には2年に一度くらいしか行かないので新鮮だ。

なんと言うか荒唐無稽さが純粋に楽しかった。津波が魚で魚の波の上に少女が乗って少年を追いかける図は想いも着かない面白さだった。
所々ディズニーっぽく感じたのが残念。特にポニョのお母さんが・・・
反対に難を言えばそれくらいだった。
屈折した若者が書いた人魚姫が、清く正しい成長譚と化していた。しかしそれ自体は悪くは無い。宮崎アニメの力強い少女が好きだ。

「崖の上のポニョ」は魚が人間に恋をして人になると言う点においてはアンデルセンの「人魚姫」がオリジンと言えよう。
アンデルセンは欧州では異端の作家だった。かのお話はそれまでのキリスト教的な童話と違い、成長譚でも何かの教訓も宗教的な教えも無い。ただアンデルセンの女性にもてなかった恨みつらみから発生した悲恋物語である。
件の「人魚姫」はラストでは恋焦がれた王子には誤解から相手にされずに姫は海の泡と消えて行く。彼女の血の滲むような努力は何にもならなかった。
そこにはアンデルセンの「恋焦がれ、どんなに努力しても恋は得れない」と言う不条理だが、人生としてはリアルな結末が描かれていた。
心理学的には幼い時にはこのようなお話よりは「努力次第で人生は切り開かれる」お話しの方が精神の発達に宜しいらしい。

この女性に恋焦がれ一生女性とは縁のなかった不幸な作家が語る凡そ教訓的でも宗教的でもない物語を宮崎駿は見事にグリム化している。
愛と勇気で難局を切り開き、強い思いは必ず通じると子供たちに説いたのだ。

ここで言うグリム化とは欧州に伝わる不条理な御伽噺などをグリム兄弟が加筆改変してキリスト教儀に即したお話しに変えていることを指している。
元々欧州に伝わる古来の話はケルトのお話の様に不条理で教訓的では無いものも多い。
グリム兄弟は古のお話を採取して「少年が色々な困難を経て幸せな結婚をして末永く幸せに暮らす」という「自我の覚醒」や「努力は報われる」と言うような構図に手直ししている。聞き取りのときに既に手直しされたりしたものもあるが、かなり教育的なものとなっている。

日本の古の御伽噺は大抵が不条理で不思議で成長譚などは珍しい部類に入る。
またキリスト教的な人と神、人間と自然、善と悪など二元論的な思想はそこにはない。
人は自然と渾然と描かれていて突然鶴が人になったり、人が鮒になったりする。
竜宮城で夢のような暮らしをしていてもお土産を開けると途端に老人にもなる。何故懇意にしてくれた姫がそのような危険なものを送るのだろうか・・・自分の元を去ると言う浦島への恨みだったのだろうか。
兎にも角にも明治までは日本人には自我というものは危険なものだった。殆どの人間が百姓で牛の様に苦しく働く農耕という共同体の中で「自我など芽生えては途端に生きにくくなる」。
なので日本の土壌で生まれたお話は「人生って殆どが苦しかったり上手くいかなったり、皆それぞれ狐に騙されたりしているのだな」的な話しが多かった。

明治に開国して以来西洋化は著しく、今や日本で創られる世界に通じるアニメはかつての日本人独特の思想ではなく西洋化した思想の元で作られる。
そしてその昔、異端だったキリスト教的でない童話「人魚姫」を見事「自我の覚醒」や「努力は報われる」と言う成長譚に日本人が書き換えたことに物凄く興味が惹かれたのである。
宮崎駿の素敵なところは、そこには西洋的な極端な善悪の二元論はなく程好く日本的なのが良い。

こんなことを映画を観ていて、感動しながらもラスト辺りで思っていたのです。



| 村田兼一 | - | 03:32 | - | - |
顔色の悪い魚たち。


ぽーにょぽにょぽにょ魚の子 遠い海からやって来た♪
と言う曲が頭を廻る。
そんな訳だからではないが先週から水族館へ行きたいとタマが言うので、
夏休みが始まる前に出かけてみた。


今年は三つ折靴下が流行ると、無理やりタマに穿かせる。
格好の痛さに本人は泣く・・・



アマゾン淡水魚水槽の前。
淡水魚最大のピラルクも居る。飼っていたアロワナも・・・
しかし淡水魚はこの狭いコーナーだけと寂しい。。。


ここの観覧車に初めて乗る。
15分で一周とかなり高くまで上る。


梅雨も明けてかなり暑い。
釣り熱も急激に冷めつつある。
夏草が伸び池の周辺の獣道も塞がって来て、行く手も阻まれている状態だ。
そろそろプールとか行きたくなって来た。

| 村田兼一 | - | 00:58 | - | - |
晴れた空 凪いだ海 まどろむ街


友人の向井氏が個展をしている。初日は七色ダムに行っていていけなかったが、今日山崎と見に行った。彼の郷里・愛媛の港とその周辺がテーマである。

我々ムラタ、ムカイはアンチ・ネズミーランド同盟なのだが、そんな彼が妻や子供たちに屈して遂に東京鼠王国へ行った話しを聞き驚愕した。

向井仁志写真展 母港
2008年7月6日(日)〜8月2日(土)
場所は学研都市線・四条畷 東口駅前 喫茶エコー2階



| 村田兼一 | - | 01:23 | - | - |
七色ダムへ。


金曜日の夜中0時45分に大阪を車で出発。七色ダムへ行く為だ。
高速を飛ばすも山崎腹痛の為、途中サービスエリアやスーパー、コンビニ、マクドナルドなど色々と立ち寄っているうちに既に2時間近く経過。未だ奈良市内に居る。これではボート屋の開く5時までに湖へ到着出来ない。
猛スピードで曲りくねった山道を飛ばす。途中ものすごく長いトンネルに何度か入るが、車とは一台もすれ違わない。山道で出会ったのは鹿くらいだった。
このクネクネの道をひたすら走り続けて池原ダム、そして七色ダムへと4時過ぎに出た。
大台ケ原を越えて丁度奈良、三重、和歌山の三県にまたがったところに七色ダムはある。
5時にボートで湖へ出る。霧がかかって山が霞んでいる。




一泊して温泉に浸かり翌日は大台ケ原あたりを散策する。



この辺りは年中雨が多く土は水を大量に含んでいる。
滝や湧き水も多く苔が絨毯の様にひかれて美しいが土砂崩れも半端なく多い。



先日の夕食に鮎の塩焼きを食べてからまた鮎モードとなっていて昼飯に鮎を捜し求める。
そして吉野まで帰ってからやっと鮎にありつける。
食堂では鮎は一匹1000円と高いので二匹目は屋台で。こちらは500円。

津風呂湖に立ち寄る。ここは遊覧船と手漕ぎボートが浮いて長閑な感じ。岸から5メートル下の湖へルアーを投げてみる。30分で3匹ほど釣れる。

もう6月、7月は連日タマと釣り三昧の日々が続いている。二日に一回は行っている感じだ。
釣果も少し貼り付けておく。






山にはムカデやマムシも居る。綺麗な色をしていた。




| 村田兼一 | - | 04:02 | - | - |
文明の終焉を生きる。


私は元来ペシミストだ。色んな意味で色々と諦めが入っている。
人生に対し、自分の身体能力や才能、人に対し、経済状況、地球温暖化、紛争、戦争、、、etc…
しかし歴史的観点から見れば、そんなに悪い時代じゃないかも知れない。
先進国を見れば、人類がこれ程飽食で病気になる時代は人類史初だろうし、人権や犬猫の権利すら守ろうと努力はしている。

しかし今まで繁栄していたアメリカ帝国主義文明はもう終焉を迎えつつある。経済的なことや物質面で見れば何かがこれから良くなるとも思えない。
原油高でそのうち海外旅行も車に乗ることも夢となる世界が待っている。
原油高を免れたとしてもCO2のせいで、自家用車なるものは消え、飛行機に乗るのも沢山のCO2をばら撒くので高い環境税を払わなくてはならなくなるだろう。
どちらにしてもエネルギーを使わない生活を強要される。
今のうちに海外に行き、今のうちに排気量の大きい車に乗り、物質文明の終焉を楽しむことにするつもりだ。
環境に優しくないかも知れないが、無駄なエネルギー消費は二度と味わえなくなる。ペシミストだが快楽主義者でもある。

私は政府主導の「エコ」が嫌いだ。どこか嘘臭い。
ペットボトルを回収して、白熱球を蛍光ボールに換えたとてどれ程の資源が守られ、どれ程のCO2を減らせるだろうか。全世界の人の意識を変えればと言うが、これはもっと大きな問題を隠しているだけだ。一種免罪符に思える。
第一こんなことは、危機が迫れば義務化されてしまうに違いない。そして写真の引き伸ばしプリントに必要な白熱球が使用禁止となり、私は禁止されている白熱球を密かに隠し持ち使い続けて、白熱球使用違反で逮捕されるのである。そして生涯暗室作業をしないことを誓約させられる。

そんな事より車と飛行機を止め、夜に寝れば大きな効果がある。緊急車両以外は使わなければCO2など瞬く間に減るだろう。
車も飛行機も電気も新時代の産物だ。これらのばら撒くCO2は計り知れない。
しかし経済主導のこの世界、口が裂けてもそんな事は言わない。自動車産業は莫大だ。そしてひたすら省エネとかオタメゴカシを唱えている。
しかしこの誤魔化しもそう長くはもたないだろう。それ程に温暖化は逼迫している。

今までは科学の時代で、科学が色々な難問に応えて来てくれた。科学が新たな災害や病を作り科学がそれを解決して来た。世界大戦が起こり科学が多くの命を一度に奪い、科学が多くの命も救った。変な時代だ。

しかし科学は地球上の人間の数もこれまでに無いほどに増やしてしまった。江戸時代に全世界の人口は5億人だった。それが今では科学のお陰で70億近い。これだけの数の人間がエネルギーを使う。

科学で地球温暖化も防げるかも知れないという甘い考えが、私自身あった訳だけど、それもそろそろ無理だと感じ始めた。

来るべき世界に私はどうしたら良いのか?
おそらくそれは、私が考えなくても強制的に「どうにかさされる」だろう。
私は当面ガソリンと電力を使い尽くしたいと思う。そしてこの終焉をペシミストらしく暗く謳歌したい。
その後は使いたくとも使えるエネルギーは供給されないだろう。
バス釣りもエンジン付きのボートでやるべきなのかも知れない。
海外旅行へ行かれたことのない方は、借金をしてでも今行く方が良いだろう。
刹那に消費して、窮屈な時代にその想い出を反芻するのである。
そして「昔は一人一人車が持てた。それに飛行機に乗って海外にも行けた」等と孫に自慢すればよい。

多くのSF世界が現実のものとなっている。黒人大統領も生まれそうだが宇宙移民船はまだまだ遠い。どうも人類に都合の良いSFは展開しそうにない。
私は来るべき食糧危機に備えて、釣りの腕を磨く所存である。
| 村田兼一 | - | 04:50 | - | - |
釣り三昧の日々。


3月から5月までほぼ半年以上分の撮影をしてしまった。
やらなくてはならない暗室作業がどっさりと溜まった状態だ。
これ以上撮影をしてもプリントと着色が間に合わないので、当分しない予定。
オマケに未だ印画紙の発売再開の目途が立っていないそうだ。暗室が出来ない。直で取り寄せることにする。

これから数ヶ月、釣りと暗室作業の日々が続くと思う。
5月に入り1週間に3回は釣りに行っている。

先ずは13日から4日間、ホリザル、椿夫妻とフローターで釣り三昧が始まりだった。



家ではもっぱら二人は新たに覚えた囲碁に興じていた。





先日、池で一人浮き輪で浮んでいると岸の方で、タマが「蛇だっ!」と叫ぶ。
「どんなヤツ?」と聞くと、「縞々の茶色いヤツ」という答え。
マムシなので近づかないように叫ぶ。
以前、釣り人がマムシに噛まれて救急車で搬送されたのを見ている。
その後、タマはその日二匹目とも遭遇したらしい。
私は岸辺から猪豚に見つめられたが、こちらは池の上なので関係ない。

今日は雀蜂と遭遇。こいつはマムシよりも厄介だ。うも黒い服装では山には入れない季節のようだ。
大量の芋虫と毛虫も現れている。彼らは愛らしい。あれ程苦手だった蛾にも少しは慣れた。蜂に比べれば無害だからだ。
地味に悩ましいのが蜘蛛と蟻。どちらも噛まれると凄く痒い。

この季節、釣りの帰りに服や鞄に虫をくっ付けて帰るので、車内や室内にそれらの虫が時々這っている。
車で送り迎えをされる方は気を付けてと云った感じだ。

先日、山中を歩いているとタンポポのような綿毛が沢山漂っていた。
何の胞子だろうか・・・



この日はなかなか釣れないので7時まで粘っていると
帰りの山道は真っ暗になってしまった。
池は明るいのだけど林道は暗い。
勿論ライトは持っているが、山の中は誰も居ない。
一人きりになると思い知るのだけど、
山は圧倒的に彼等や何ものかの領分だ。
| 村田兼一 | - | 01:57 | - | - |
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